昭和47年5月7日 特別奉修委員
                        中村良一


神に会おうと思えば、にわの口をそてへ出てみよ。ね。下が神、上が神と。まぁ、今朝からの御理解でしたけれどもね。御道の信心をさせて頂いて、それを、分かっておる人は、沢山おります。けれども、その天地の神様の働きを、身近に、日々、刻々、感じておかげを頂いておる信者というのは、実に少ないと思うですね。そういう意味で、合楽の場合、有難いですね。ここに参っている皆さんが、今朝からね、お届けをされた、あの、事だけども、方だけでも、ね。本当に神様を、日々、刻々感じておられる方達ばっかりなんでしょうが。ね。例えば、あんなに、今の御祈念に参加なさった方達は、みんな、その体験のの持ち主ばっかりだと思います。波多野さんの、お届けを聞かせて貰いましても、佐田さんのお届けを聞かせて貰いましても、高松つぁんのお届けを聞かせて貰いましても、もう、それこそもう、今、三人の事を申しましたが、もう、それこそ、もう昨日一日、もう、全体のなかにね。神様の良ければ良し、悪しければあしで、もうそれが、はっきり、神様の働きを、身に感じておられるという事。これはもう、本当に、合楽で信心の稽古をしておられればこそだと思うですよ。もう、これだけはね。本気で合楽のご信心を頂いておるということだけの、有難さを、もっともっと、感じて下さらなければじゃない、感じなさらなっければいけないと思いますよね。
なるほど、天地が、神様であり。天地の働き、そのものが神様の働きというものだ。その働きを、もう、身近に感じる生活が信心。金光様の信心生活です。まぁ、それを、出来ておる御道の信奉者がどれだけあるだろうか、ね。観念的には分かっておっても、拝んでおるけれども、参っておるけれども、言うなら、朝参りを何十年続けておるけれども、今、皆さんが、あの、今日、お届けされたような、あの、神様を、言うなら、リアルにですね、キャッチしておられると言う人は、これはもう、本当に、合楽にご神縁を頂いておる方達の、もう、だけのような気がしますね。随分、私共は、長く信心してきたけれども。なら、今日、その三人の方達のことを申しましたが、そのように、おかげを頂きまして、有難うございますと。そのように、あの、口に唱えられながら、お礼が言えれるなんて、今までかって、聞いたことがなかったと思う、私共は本当。はぁ、おかげ頂いて有難うございます。今日もと言うけれども。もう、例えば、日々の、いわゆる、一こま一こまが、神様の働きを、そこにはっきり、神様の働きと感じておられる。ね。それには、どうでも一つ、ね。朝からの御理解のなかにもありますように、、只今に、先ず、あなたの心です、ね。今の心、それを、いわゆる、念じていくと言うのである。そういう生き方にならせて頂かなければ、おかげは受けられません。ただ、朝参りしただけ、拝んどるだけじゃいけません。本当に、日々、自分の心を、見極めさせて頂きながら、それを、いよいよ、おかげの頂ける心の状態に、おかげを頂いていかなければならない。
先ほどの波多野さんのお届けの中に、大海のような信心と、和の心、この二つが、あいまっていかなきゃならんという、お夢の中に、こう言ったお知らせを頂いたという事ですが。
私も、今朝から、二つのことについて頂いたんですけれどね。確かに、あの、大きなおかげを頂くためには、大きな信心をしなければいけませんよ。ね。小さい、ちっぽけな心の状態で、大きなおかげ下さいち言うたっちゃ、絶対、頂けるはずがありませんもんね。だから、大きな心になる。いわゆる、大海のような信心をさせて貰うて、いわゆる、最近の心においても、黙って治めると、もう本当に、黙って治める信心修行が出来る。いわゆる、大海のような信心なんですよ。それに、私が、ここで、頂くのはね。大きくなっていくためには、必ず、障害があるです。大きくなっていくためには。その障害になるものを、気付かせて頂いたら、、それを取り除いていくと言う生き方にならなければ大きゅうはなられません。この二つがあいまって行かなきゃ、黙って治める、いわゆる、大海のような信心ですね、いわゆる。ね。それに、例えば、今言う、大きくなっていくためには、必ず、障害のものがある。こう広がっていくためには、ね。
今朝のなんか、合楽の教会なら教会が、大きくなっていくためにはもう、とても、六反もあるけんでち言いよったばってん、もう、どんこん、されんでしょうが。もう、駐車場が、ここに、どうでもこうでも、相談せんならんち言うて、皆さん、一生懸命、その方の交渉に当たっておられます。ね。そこにはもう、簡単な事はありません。もう、そこに障害が来る、障害があるけれども、障害を乗り越えなければ、広がっていくことは出来ないのですよ。ね。だから、信心が広がっていくとか、大きくなっていくという事はね。結局、そういう障害が、どこにあるかというと、心のなかにあるとですよ、ね。心の中にある、その、こげな事という、頂けるはずはないと言う、その心をね。難しかろばってん、取り除いていかなきゃならん。でなかったら、大きくなれません。大きゅうなるとは、だらっとこう、大きゅうなれると言うもんじゃ、決してないです。ね。大きくなっていくと言うのは、必ず、障害がある。もう、限りなく、大きくなっていくために、限りなく、おかげを頂くためにです。一つ、一遍、自分の、ちっぽけな、この心の状態を、いよいよ、大きくしていくために、大きくするために、大きくなるための障害なものをです。取り除いていくこと。この二つがあいまってね。ね。それを、まぁ、和の心という事で、波多野さんは頂いておられますね。和の心というのは、もう、不退転。どんな場合であっても、崩れないと言う心が、和の心である。ね。あなたが頂いた事と、私が頂いた事が同じですねと言うて、まぁ、話したことですけれどもね。この二つです。ほんなら、黙って治めると言うだけではいかん訳です、ね。それに、いよいよ、改まるという事が、必要だと。こら、大きくなって行くための障害です、それが。おかげを頂いていくための、ね。そして、そこの所に、いよいよ、焦点を置いて、ただ、神様を、日々、刻々、本当に、有難い、有難いと感じさせて頂くだけじゃなく、それがねいよいよ、深く、広く、大きく、ね。言ってあると言う、育っていかなければいけませんもんね。どうぞ。